俺ガイルの新刊が永遠に出ないことをファン(私)はどう思っているのか?

 

 来たる7/1、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』の原作14巻の名前がガガガ文庫の「刊行予定」に無く、これで前巻(13巻)の刊行から9ヶ月続刊が無いことが確認された。

 本チームは事態を重く見て、俺ガイルのオタクがこの状況をどう思っているのか、急遽ファンを募ってインタビューを行うことにした。協力していただいたのはKさん(仮名、二十代)。以下は、そのインタビューの記録である。

 

質問者(以下Q):こんにちは。

Kさん(以下K):こんにちは。

Q:インタビューの趣旨は事前にお伝えした通りです。まずは、Kさんがどんな方なのかを知るために、俺ガイルについて、簡単な質問をおこないます。

K:はい。

Q:俺ガイルと初めて出会ったのはいつですか?

K:中三のときです。『このライトノベルがすごい』で6位になっていて、それで気になって、刊行されていた分を全て買いました。

Q:6位というと、2013年ですね。その年のトップテンは上から『ソードアート・オンライン』『とある魔術の禁書目録』『六花の勇者』『バカとテストと召喚獣』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』『デュラララ!!』『東雲侑子は短編小説をあいしている』『サクラダリセット』『境界線上のホライゾン』。このタイミングだと、アニメ化が発表(2012年7月アニメ化発表)されて少し経ったあと、というタイミングでしょうか。

K:そうですね。なのでまあ…原作勢といえるかどうかは微妙なラインなのですが、俺ガイルに手を出す前はアニメはおろかネットすらほとんど知らず、「アニメは東京でしか観れないもの」と思っていたピュアな中学生だったので、それを加味していただけると…

Q:なるほど。そう考えると「玄人オタクが有望株を買っておく」とはまた違う感じかもしれませんね。分かりました。では、次の質問です。俺ガイルで好きなキャラは?

K:雪ノ下雪乃は毎年誕生日を祝っています。比企谷八幡が私の価値観の枠を作ってくれたと思っています。

Q:ありがとうございます。次の質問です。俺ガイルについて、「おっ、こいつやるな」と相手のオタクが思うようなエピソードを教えてください。

K:えっ、そんなのあるかな。時間だけは沢山かけてきたとか駄目ですか?

Q:結構です。時間の話が出たのでお伺いしますが、お金はどれくらい使われましたか?グッズはどれくらい使いますか?

K:基本買っていません。アニメの円盤やゲームすら買っていません。ぽんかん⑧先生の俺ガイルラフ本とか、俺ガイル続の雪乃の原画集とか、奉仕部ラジオのCDとかをちょこちょこ持っている程度です。

Q:円盤を買わないのは何故ですか?アニメは好きじゃないとか?

K:いやむしろ好きですよ。主題歌も凄く好きですし、声優さんも大好きです。雪ノ下雪乃役の早見沙織さんには特にはまりこんで、出演作や曲は、本人名義も含めてそこそこチェックしています。

Q:もしかして、「中学ラノベ→高校アニメ→大学声優」という、薄いオタクが薄くオタクを抜けるルートを順調に進まれている感じでしょうか?

K:そうかもしれません。でもそれでも、いやむしろだからこそ、俺ガイルの原作は新刊が出る度に2冊買っているというのは、私にとって特別であるような気がします。

Q:なるほど。ポジティブな回答、ありがとうございます。

 

 

Q:では、そろそろ本題に参りたいと思います。単刀直入に伺いますが、俺ガイル14巻が実に9ヶ月、出ると思ったら延期されたり、出なかったりすることについて、どう思われますか?

K:正直なところ、どうも思いません。

Q:というのは?

K:まず、これまでももっと長い延期はあったからです。11巻が出てから12巻までに2年3ヶ月、12巻が出てから13巻までに1年2ヶ月、つまり物語がクライマックスに近づくにつれて、どんどん遅れてきました。ハルヒ谷川流先生のように、原作者の渡航先生は消息不明というわけでもなく、情報を発信していないわけでもないので、ああ、大変なんだな、という感想があるだけです。要するに、もう慣れました。

Q:ターニングポイントとなったかもしれない、11巻と12巻の間ですが、ここで状況を振り返っておきたいと思います。11巻というのは2015年の6月に刊行されたわけですが、この時まさに、TVアニメ2期が放送されていましたね。アニメの最終回の放送と同じタイミングで11巻が刊行という形になりました。この年、『このライトノベルがすごい』でも3年連続の1位を獲得し、同誌初の殿堂入りを達成。まさに人気絶頂の頃だったと言ってよいと思います。

K:そうですね。だからこそ、2年の間が開くというのも、実は年数ほどには長くは感じていませんでした。同時期に「ルートa」も執筆されていましたし、2016年には『ガーリッシュナンバー』の原作とアニメもありました。2016年はお祭りが続いていたような感じでした。ただし、2017年に入った頃になるとさすがに「あれ?遅くない?」という気分にもなってきましたね。今から振り返ると、11巻をアニメとあわせて出す、つまりアニメの都合に合わせて原作を出すということをしたために、その後でどうしようかと考えることになったのかもしれません。たぶん違いますが。

Q:渡先生の動向も気になりますが、もう少し俺ガイルに即してお話を伺いたいと思います。12巻の刊行後に、再び1年を越える沈黙。これについてはどう思われましたか?

K:正直、「あ、これ谷川流モードに入っちゃったかな」と思いました。この考え自体は結局は誤解でしたが、いずれにせよ、イベントは続いていて、グッズもバンバン出続けているのに、原作だけ出てこない。刊行するかと思ったら延期する。だから、今の状況と基本的には同じです。

Q:出た時は喜びもひとしお?

K:そうですね。発売日の三日前くらいから、近所の本屋を日に2回くらい訪れていました。俺ガイル以外でこんなちゃんとしたオタク行動をしませんから、手に入れた時は嬉しくて嬉しくて、一気に読みました。

Q:話の展開としてはどうでしょうか?

K:以前ブログにも書きましたが、「難題にちゃんと悩もうとしているな」という感じです。「本物が欲しい」って言ったって、そう簡単に言っても現実はもどかしくなるくらい難しいよ、ということを、真摯に描いていらっしゃると思います。もう当初の陰キャあるあるとは違って、普通にスタンダードな青春小説だと思います。もしくは、歳のせいか、そういうふうにしか自分は読めません。


俺ガイルの新刊がやっと出てうれしい - kyakunon20’s blog

Q:内容としては満足のいくものだったということでしょうか?

K:はい。待った甲斐があったなと思っています。面白かったです。

Q:どういうものを最終巻には期待しますか?

K:いやもう、ここまできたら何でもいいですよね。キャラクターが生きていればそれで。ルートaが結衣ルートだったから原作は雪乃で、っていう安直でチープな感じだったら、むしろ嫌かもしれません。雪乃ルートが嫌というか、そういう、機械的な形で彼女達の青春を描いてしまわれるのは、私は嫌です。

Q:もしかして、金は出さないが口は出す、めんどくさいオタクの方でしょうか?

K:俺ガイルを読んでめんどくさいオタクにならないことは、いいことなのでしょうか?

Q:興味深い議論だと思います……

 

Q:ところで先ほど、谷川流先生の名前を出されて、ハルヒのように音沙汰無く何年も出ないかもしれないという不安があったと仰っていましたが、「13巻待ち状態」と「14巻待ち状態」では、心境の変化などはありましたか?

K:基本的には時間の変化と自分の加齢による部分が大きいとは思いますが、それを除くなら、13巻と違って、14巻は「これで終わりだ」という新しい不安を持つようになったと思います。色々あって、金はろくに落とさなかったにせよ、この6年間、俺ガイルとともに歩んできました。私の趣味ややりたいことは俺ガイルから派生したと思っていますし、その意味で自分は俺ガイルに人生を狂わされた読者だと思っています。八幡は私の指標であり、憧れであり、理想でした。それが無くなってしまうとなると、いったい私はこれからどうやって生きていけばいいのだろう?閉じられてしまった物語を反芻しながら、寂しく生きていくんじゃないか。そういう不安があります。

Q:終わってほしくない、とは考えませんか?

K:いや、むしろ、実を言うと、終わってほしくないと思っています。終わってほしくないと思っているからこそ、今の14巻が出ないという状況に苦しみを覚えていないのかもしれません。

Q:何故そこまで一介の高校生に、大の大人が惹かれるのでしょうか?

K:彼らが自分にとって本質的な問いを提示しているからだと思います。私は高校生から大学生になりましたが、別に高校生や、もしくはそれ以前に得られた問いにちゃんと答えられるようになったわけではありません。そこから目を逸らしてきただけです。八幡の「本物が欲しい」という問いかけを、茶化すことは簡単ですが、それは本当に検討に値しないものなのか。いや、そうではないと思うからこそ、私は俺ガイルを読むのだと思います。ただし、八幡も雪乃も、言葉の正しい意味で全く愚かな人間です。彼らを理想化してばかりでは、本当に私は高校生のその次に至ることはできない。私はその次に行きたいと思っています。

Q:だったら、やはり早く完結を望むべきなのではないでしょうか?

K:なので、それはやはり自分の、私の愚かさなのだと思っています。ここから離れたくない、八幡や雪乃だけを見ていたいという、自分の弱さなのだと思います。

Q:「完結してほしくないけど完結すべきだと思っている」というご心情は理解できました。踏み込んだ質問にお答え頂き、ありがとうございます。では、最後に伺います。最終巻はいつ頃刊行されると思いますか?

K:ここまで引っ張ったら、もう3期の最終回にあわせて出すしかない、というのが今のところの私の予想です。あまり愉快な想像ではありませんが、もしかしたら、この沈黙や延期の繰り返しも、何かしらのパフォーマンスなのかもしれません。もしくは逆に、満を持して、1月、つまり雪ノ下雪乃の誕生月に出すのかもしれません。なんにせよ、年内には出ない、というか、8月、つまり八幡の誕生月ですね、8月に出ない以上、これといったタイミングがないような気がします。でも、正直、刊行時期はどうでもいいとまでは思いませんが、ここ3年以内には完結しているだろうと考えた際、4年目以降に自分がどう読むかの方が、私にとっては重要です。人生は長いですから。

Q:原作が出ない間に円盤やグッズを買い揃えるという予定はありませんか?

K:正直、特にありません。何のグッズを増やす予定もありません。活字が欲しいです。ていうか、ここ2年くらいの、俺ガイルの露骨に露出が増えたグッズがあまり好きではありません。いったいどういうシチュエーションになったら、雪ノ下雪乃由比ヶ浜結衣がほぼ全裸で笑顔で抱き合うということがあるのでしょうか。

Q:なるほど、口はこれからも積極的に出される予定なのですね。

K:そのつもりです。

 

Q:今日は本当にありがとうございました。俺ガイルのファンとはどういうものか、その一端が少しわかったような気がします。

K:こちらこそありがとうございました。自分のオタクとしてのスタンスが、少し客観的に見られた気がします。

 

 

 俺ガイルを長く待つ人間が、色々な意味で「歳をとっている」というよく分かった。11巻の刊行から、はや4年。中学生が高校生に、高校生が大学生に、大学生が社会人になるという期間、俺ガイルは短い時間をじっくりと熟成させてきた。読者もまた、それを楽しんできた。この物語の果てに何があるのか、それを読んで読者は何を思うのだろうか。2020年はオリンピックイヤーでもある。俺ガイルという作品が、読者の、あるいは歴史の年譜の上にどのように位置づくのか、これからも目が離せない。

厳しいなあ

 私はVは好きですが「身体はバーチャルだけど心は人間」というのが正直好きではなくて(ヒメヒナは普通に好きなんですけどそこだけどうも)、それを考えるとやっぱり「中とか外とか無いよ〜」と軽く言ってのけるにじさんじはやっぱり凄いなと思います。まあ終始そこを問われ続ける存在だからこそ、鍛えられているという皮肉な現状なんでしょうが、それでもね。

 最近は熊野純彦先生の本を音読するということを始めてみたのですが、よき〜〜という感じです。熊野先生はコンパクトなサイズの本(あえて新書に限らずとも)が多いし、文がしっかりと練られているのにすらすらと読める(意味がすらすらとわかるとは言ってない)ので、とても良いですね。

 声に出して読んでいて始めて気づくのですが、熊野先生はわりと一気に要点をばーっと言って、その後で「もう一度ここをよく考えてみよう」って再び問いに戻る、という記述スタイルなのかもしれません。教授スタイルなのか?

 カントやマルクスの話は、読んでいると「今の説明わからなかった…」って思うことがよくあるので、「大丈夫☺もう1回言いますよ」って言ってもらえる感じがしてとてもありがたい。こういう文章を書けるようになるといいなあ。

 私は、Vtuberが外見は外見に過ぎない、と言っているのが正直よくわからなくて、「中身バレバレでも許してな!」と言われているような気がどうもしてしまうのです。もちろん、元々この話がアズリムに端を発しているとか、ヒメヒナの物語の重要なモチーフとして心と体があるとか、そういう話は分かるのですけど、Vtuberで一番大事なのは魂だとかガワが変わっても魂が一緒だったら観るだとか、そういう言説にはコミットできな…いやそういやわたし昔から千代家ぷりりめちゃくちゃ観てたわ。いやでもあれはもう結目ユイが誰かは確定してから、つまり魂しか無い状態での視聴だったから…ていうか逆に私は千代家さんはVtuberデビューしてから観なくなったな。なんで…?あの人はVtuberとは別のジャンルとして観てたのか??羊乃さんの友達として???

 

 そんなことを考えていたらゲーム部がまた声優さんが変わったそうで、今回は何人か、わりと何の事か特定できる形でぬるっと批判をしているのが印象的でした。ていうか普通に推しも言及してて吃驚。そっか、外や内がないっていうのは、彼らにとっては「だから魂よりガワが大事」ではなく「だからガワより魂が大事」なのか。もちろん、それはまっっっっっったく間違いではなくて、ひとえにこんな言説を呼び寄せたゲーム部が悪いんですけど、この事態とは裏腹に、順調に進んでいくゲーム部の活躍と、動画の落ちないクオリティをみるに、ああもう多分この会社は修羅の道を行くんだろうなと思いますね。私は別に修羅は追いたくないけれど、そういう進み方もあるんだろうなという小並感はあります。

 私は別に生主がガワを被ったものを観たい願望も無ければ、修羅の後ろをついていく覚悟もありません。今までだったら「いや、それはVtuberの本質ではなくて…」とか言ってた気もするのですが、今回はなるほど〜〜という感じです。明日以降も自分がVtuberを観てるのかどうか、少し気になります。テレビなおしたら一発で観なくなる気がする。それだ!

メガミマガジンから児玉まりあへ

 『メガミマガジンRXcollection2』と『児玉まりあ文学集成』を入手。本当は児玉まりあだけ買うつもりだったのだけれど、何か魔がさしてメガミマガジンを買ってしまった。案の定全然エロくない。懐かしいっすね、という気持ちだけ。

 高校生の時から非R-18のエロアニメーーいわゆるポル産アニメーーは少し観ていたが、如何せん私はアニメで抜けない人間なので、おお、とは思うがその程度で、そこまで好きではなかった。にも関わらずこれを買ってしまったのは、ひとえにツタヤに興味を引かれる漫画が無かったからであり、今思うとこれを買うくらいなら『早乙女姉妹は漫画のためなら』を買った方が良かったなと後悔しきり。や、こういう感情も懐かしいですね。中学・高校の頃に戻った気がします。BOOK・OFFとインターネットいう魔窟を知ったのが私はかなり遅かったので、結構長い間、基本的にえっちな本は新品の本屋でジャケ買いでした。チャンピオンREDいちごとか、その辺で一通り「アタリ」はつけておくわけですけど、時々冒険をしてみたりして、そういうのは大体失敗してました。『ヤングアニマル』はともかく、『電撃文庫マガジン』をエロ目的で買うのは、今思うと単なる無知だったような気がします。桐乃の枕カバーに可能性を感じたんでしょうねえ。。。

 ていうか、チャンピオンRED系も微妙だったりはしたわけです。私にとって『聖痕のクェイサー』『あきそら』『カガクなヤツら』辺りはヤッター!って感じでしたが、「いいとこお色気漫画では?」っていうくらいのものもあったりなかったり。

 そう、『カガクなヤツら』。このクレイジー・エロ・漫画にはなんとアニメがあるのですが、その名前を『メガミマガジンRXcollection2』に久しぶりに見て、買ってしまったのです。だから後悔も含めて、あの頃の自分を久しぶりに取り戻したという感覚が本当にしていました。「作画微妙すぎて抜けねえよー」と嘆きながら、ノゲノラのエロっていったら超健全空間じゃないのかとショックを受けたりしながら、抜いてもないのに読了後は脱力感と後悔に苛まれて、ぐったりしていました。まあ、そんなもんです。

 でも、取り上げた作品の声優逆引きリストが巻末についていたのは笑ってしまった。読者層が分かりすぎている。ここだけで買う価値が…いや、無いんですけど。

 

 『児玉まりあ文学集成』は、正直そんなに期待していませんでした。『バーナード嬢曰く』の劣化版だろうと、無礼にも勝手に思い込んでいました。それにも関わらず私が本書に手を伸ばしたのはド嬢的なものがたまに読みたくなるからで…

 結果から言うと、『児玉まりあ文学集成』は、『バーナード嬢曰く』とは全く違った作品です。当たり前ですね。

 本作品は、極めて真っ当で真面目な文学漫画です。ド嬢がそうでないとはいいませんが、児玉さんを前にしたら、さわ子どころか神林さんも戦きそう。

 さて、創作非創作かかわらず、世に「文学少女」は溢れかえっていますが、児玉まりあさんは一味違っていて、文学を、言語(使用)という対象をもった学問として捉えています。愛も恋も、冒険も生活も、彼女の興味を引きません。彼女が探究するのはあくまで言語の可能性であり、そこに近づくアプローチとしての文学です。

 圧倒的形式主義者。それが本作品が誇る文学少女、児玉まりあさんなのです。物語のワクワク?ドキドキ?そんなものはとっくに追い越しちまったぜってな。。。。。

 若干テンションが怪しくなってきましたが、自分が感じる「文学のワクワク」みたいなものにいまひとつ自信を持てない私としては、形式でゴリゴリやってくれるのは、むしろとても楽しいです。恋愛要素が若干邪魔だと思ってしまうほどに。なので、この作品がよく言われるらしい「シュール」とか「淡々としてる」というのは、そんなに気にならず、むしろ逆に、現実を超えたいにも関わらず、どうしようもなく付きまとってくる現実の気持ち悪さみたいなものを感じました。「おかず」って言った時の、後からじわじわきてしまう変な笑いとかがそうです。おまけページでダメ押しされているのはやり過ぎだと思いましたが。そういう気持ち悪さを心地よい刺激物にしながら、てくてくと進んでいく作品です。ああ、これ好きだな〜ずっと完結しないでほしいな〜ヴァレリーとか参考文献に出てきてほしい〜

シャングリラの鳥

 表紙をひとめ見てからずっと気になっていた座裏屋蘭丸『シャングリラの鳥』をツタヤで入手。同時購入はもちオーレ『レンタルショップでお姉さんをレンタルする話』。

 

 やが君を読んでこの方、百合に求めるのがエロでも濃さでもなく、徹底的に切り詰めることになってきた今日この頃、その反発として、濁流のような強さを持つ漫画を探していたのですが、『シャングリラの鳥』はまさにそれでした。

 高級男娼クラブ「シャングリラ」を巡る美男と美男の恋の物語なのですが、このシャングリラの描写が大好き。

 本土から離れた南国にその館はある。男娼はオーナーのスカウトで選ばれ、客も金だけではなく気品が求められる。男娼は嫌なら仕事を休んでもよいなど、待遇は最高。客よりも大事にされる彼らは、「小鳥」と呼ばれる。人工的な小鳥たちの楽園、まさに理想郷(シャングリラ)。

 まあ、これくらいは富と権力と気品と、ほんの少しの禁忌をブレンドした社会なら、簡単に作り出せるのかもしれない(でも/だから百合でこれをやろうとすると、お嬢様学校の秘密の会員制クラブが限界では無いだろうか。こんな、ある意味究極にマッチョな世界を、端正なものとして描いた百合作品を、残念ながら私はあまり知らない。もちろん秘密のクラブは大好きですよ。。。)。

 だから、私がここに単なる下品さではなく、確固たる力強い美を見出すのは、「試情夫」という、シャングリラ独自のシステムにおいてです。試情夫というのは作中の中心的な登場人物のひとりのフィーの言葉を借りれば「当て馬」ですが、もう少し丁寧に説明すると、「男娼が仕事に気持ちよく向かうためにかれの気持ちを高揚させる役」です。「都合のいい愛人」と表現されていたりもしました。付き人のような仕事もしつつ、キスや前戯によって、性行為へのやる気も高めさせるというのがポイント。

 ただし、それで最後までしてしまうと客が取れなくなりますから、試情夫のルールとして、「イかせない」「挿入しない」「恋に落ちない」があります。なんと甘美なのでしょう。まず、この試情夫がこのシャングリラを成り立たせるのに不可欠な要素であるということがちゃんと納得できます。次に、非常に重要な部分なのにも関わらず、(今のところは)全くいびつさを感じない。プロのテクニックと、選ばれたエキスパートならではの気品が、「当て馬」を「試情夫」に格上げしています。これを見せられたあとは、「なるほど、なんで今までこれに気づかなかったんだろうな〜」という、快い驚きがあって、その驚きがじわじわ読後にも広がります。

 性行為に向かう際にテンションを上げるための機能的な前戯として、ひっそりとした自生的なもの、あるいは隠されたもの(風俗嬢同士の百合とかです)くらいしか知らなかった私は、この試情夫という快いシステムに、すっかり参ってしまいました。

 

 作品の内容としてはまだまだ始まったばかりで、ていうか単行本は見た感じ2年に1冊ぐらいのペースみたいで、Spotted Flower並の「待て」を喰らっている気分なのですが、そういうわけで、もう設定だけで満足しています。若干猟奇性というかサスペンスの陰が見え隠れしているのが個人的にはめちゃくちゃ気になる。最終的にはアポロがフィーの手を取ってシャングリラを抜けるのかなとか思いつつ、いや、そんな単純なオチは無いのかな。この先生の作品を読んでないのでどういう感じかは分かりませんが。BLの盛りの美学は、これから勉強していきたいと思います。

私は君にはなれません

 ブルデューの翻訳で、「自分をあえて位置づけるとしたら社会学者か人類学者だ」みたいなところがあるんですが、人類学者ってもしかして人間学者なのでは、、、、と根拠無く思う今日のこの頃。カッシーラー凄いな〜というか、ブルデューの思想的源泉はここにあるんじゃないかしらとか。齊藤伸先生の『カッシーラーのシンボル哲学』を買っておいてよかった。後はどれだけカッシーラーを理解できるかにかかっている気がする。『シンボル形式の哲学』『人間』『啓蒙主義の歴史』文庫の再販を強く望む。みすずのハードカバーはバンバン出てるのに、文庫の主著は絶版なのおかしくない?研究書が絶版なのも意味不明じゃない???

 

 

 人を好きになることは如何にして可能なのだろう?

 巷に恋愛譚は溢れかえっている。「ロマンティック・ラブ」は近代西欧社会の作り物だと社会の学は教えてくれるけれど、私たちはどうしようもなくその時代を生きている。恋愛はしいものなのだと、なるものなのだと、そう教えられながら生きている。見田宗介を引くまでもなく、幸せな豚は、豚であっても幸せなのだ。

 そんな時代のうちで恋愛に心を惹かれないで生きるとは、一体どういうことなのだろう。私は、そんなことを考えながら生きてきた。私はひょっとして人として欠けたものじゃないのか。私の生きる意味は永遠に失われてしまったのではないか。

 もちろん、こんな問題設定が吹っ飛びすぎているのは百も承知だけれど、薄い靄のような不安は、心の内ですっかり充満してしまっている。

 だから『やがて君になる』(以下やが君)に私が出会って、しかもこれを面白いなと思ったのは、ある意味当然なのかもしれない。

 主人公の小糸さんは、人を好きになれない人である。それなりに仲のいい男子に告白されても心がときめかず、はて、これは一体どういうことかと悩む。本作のもう一人の主人公ーーと私は勝手に思っているーーの七海さんもそうで、人を好きになれない。しかし人を好きになれない小糸さんに、初めて恋をする。何故か。

 七海さんが人を好きにならないのは、そもそも彼女にとって人が人を好きになるとは、「私が今見ている君が好き」ということに他ならないからである。そして、そのように考えると、好意を向けられた「君」の方は、その「私」が「好き」な「君」を生きる他なく、そんなのは窮屈で息苦しい。だから「君」である七海さんは、人を好きになることはない。

 だから、七海さんが小糸さんに恋をしたのは、どんな七海さんであっても小糸さんは彼女を好きにならない(小糸さんは誰も好きにならない)、と述べたからである。

 

 ここに歪なものを看取するのは容易い。「七海さんだって、それで小糸さんを縛っているじゃないか」「七海さんが言ってるのは恋じゃなくて束縛だ」等々。

 まず前者。おそらくこれを七海さんは受け入れるが、それは彼女にとって大した問題ではない。というのも、別に小糸さんを好きでなくなることは、少なくとも当初の関係においては、それほど痛手ではない。「この人も私のことを好きになってしまったんだな、残念」これだけ。ちなみにこれは、百合漫画にとって王道の設定、「CPの片方(もしくは両方)に特殊な恋愛観があり、それを満足させるためには、性別(セックス、ジェンダーセクシュアリティ等々)がひとまず二の次に置かれる」のひとつの事例でもある。「好きになったのがたまたま女だっただけ」をもう少し頭でっかちにした感じ、と言えば分かりやすいだろうか?何にせよ、七海さんにとって小糸さんの美点は、必ずしも小糸さん固有のものでは無い(珍しくはあるのだろうが)し、それが変わればさようなら、というのは彼女にとってごく当たり前の振る舞いに過ぎない。

 したがって厄介なのは、後者ーーそもそも彼女の恋愛の定義は正しいのかという問いかけーーであり、この漫画が面白いかどうかもここに掛かっている、と私は思う。だって、もしこれが単なる七海さんの偏見だと一蹴できるようなものなら、「ああ私の考えが間違っていたのね、小糸さん教えてくれてありがとう」ちゃんちゃん、で終わってしまうからである。そこに壁は無く、温い予定調和があるのみだ。

 しかし、これが困難な問題なのだが、七海さんの恋愛観が真っ当なものだとも、私は全く思わないのだ。それは、この彼女の恋愛観が亡くなったお姉さんに由来するものであり、この恋愛観によって、彼女が自分で自分を拘束しているからだ。呪いをそのまま愛しましょう、というグロテスクな回答を、どうもこの作品はしなさそうに見える。

 となると、解決策はひとつだけではないだろうか。この問題が、如何に奥深く、本質的な問いかけなのかを丁寧に丁寧に描いていくことで、読者の「はいはい、そういう話ね」という予想を覆していく。これしかない気がする。そしてやが君は、過去ー現在ー未来という時間的な段階を用いて、七海さん自身の人間観をそこに重ねることで、奥深さを出そうとしているように(なんとなく)思う。

 

 なんにせよ、七海燈子の恋愛観は、私たちにとってどれほど鋭い刃たり得るか?そして小糸侑は、その刃を前に、如何なる身のこなしを見せるのか?刃を折るのか防ぐのか、躱すのかそれとも包むのか。

 私がやが君を主題化するとしたら、この辺になってくる気がする。だから私は、七海さんに1番関心がある。ぶっちゃけ小糸さん以上に。そしてそれは、もしかしたら正当な読みなのかもしれない。まだ7巻読んでないんだけどね。よく分かりません。

思想史は大事です

 perfect crimeのイラスト見たけど、あの腹筋と肩幅で女の子は厳しいのでは…?これは緑さんとうとう分かっちゃったのでは、、、ていうかお姉さんと緑さんの声質が相性微妙で(お姉さん低いのはかっけーんだけど高くなると途端にか細くなっちゃう、それに対して緑さんはいつも通り圧の強い、通る声なのでバランスが悪い)なんとも。もっとかっこいい歌で歌っていただいても良いのよ!面白い組み合わせだったので期待はあります。

 

 最近の進捗ですがやばいです。ブルデュー難しくないですか???ブルデューが言ってることの複雑さが、正確に言うと、『社会的なものを組み直す』以後にブルデューを論じる上で乗り越えるべき論点がじわじわと感じられてきて(もっと早く読むべきだった!)、そのうえ「学説史と問題の所在は違う」という先生のお言葉の意味が分かりかけてきて、こいつぁやべえぞ、、、、という気持ち。

 単純化して言ってしまえば、ブルデューのいう「界」が、安直に読めばラトゥールが批判する「社会的なもの」に該当する以上、それを乗り越えるものとしてまず初めに想定する必要がある。そしてそれ自体は道具としてあると思う。ブルデューデュルケーム解釈とか見てると、あくまで「社会的なもの」というのは彼にとって道具のひとつであり、社会の存在は、人々がそれを認識し承認するということと切り離しては考えられない。

 が、実はこの話がいまいち自分の中でもまだしっくりきていない。なんで存在しないなら想定する必要があるのか。ラトゥールみたいに取り除けばいいのでは。それを概念として使う意義は何なのか。この辺はガッツリ科学的認識論の話にかかってくるのだが、恥ずかしながらほぼノーチェック(ありえない!)!フーコーが言った通り、バシュラールとカンギレムなきブルデューなど有り得ないのですね。というかカッシーラーまで戻らなくちゃ駄目なんでしょうか(震え声)。。。あと構造主義の話もあると思います。レヴィ=ストロースというかソシュールっぽいですが。やばい!!!間に合わない!!

 

 今こうやって上に並べてみたのですが、「え、ブルデューやる上でエピステモロジーは基本中の基本なのでは???」と思った方、全く正しいと思います。私もようやく分かりました。ありがラトゥール。金森先生とか磯先生とかのを読んで、バシュラールとカンギレムだけでも特攻で詰めていきたいと思います。

 そんな夏の始まりでした。緑仙すこ。でもにじさんじの歌ってみたでは勝君のヒビカセが1番好きだったりする。あれはずるいよ…

対戦ありがとうございました

 未だにちゃんと最初から最後まで読んでなかった『最終兵器彼女』を漸く読んだわけですが、やっぱり私は高橋しん先生は短編より長編(『最終兵器彼女』も含む)の方が好きだなと思いました。

 高橋先生の特徴って、ベタな物語をどこまでもどこまでもシリアスに描けることだと思うのです。これは「馬鹿なことを真剣にやる」とか、「遊びに本気で取り組む」とかそういうことでは全くなくて、あらすじだけを見ると、もしかしたら「ベッタベタで草」って笑ってしまうかもしれないような物語を、丹念に丹念に紡いでいかれる作家だというのが、私が高橋先生に抱いている印象です。

 ところで、まあそういう具合なので、逆に短編(例えば今回併せて読んだ『最終兵器彼女 外伝集』)とかは、うーむ、というか、どうもやっぱり初見だとパンチが強すぎるように思ってしまうのですよね。いや、どうでしょう。もしかしたら、これは私が単純に「外伝」みたいなのがあまり好きではないからかもしれない。なんとなく。

 説明会は凄く得るものが多くて、失礼かつ未熟な私に、先方は非常に丁寧に接してくださったのですが、やっぱり基礎知識の不足を思い知る感じにはなりました。戻ったら、いちから勉強のし直しだと思います。今日も一日がんバーチャルライバー

 ところで、高橋しん作品の一気見は体力持ってかれますね。『最終兵器彼女』もまあある種のハッピーエンドではあると思うのですが、その過程を知ったり思い出したりするともうなんかグロッキー……でも逆にこれを最後まで読むと、「例えばこの子が兵器にならなくて、そもそも戦争が起こらなかったら、もっと幸せであった、のだろうか?」と思わず呟いてしまう。戦争の恐ろしさを、気持ち悪さを、悲しさを、あれだけ描いたうえでなおそれらを「裏切って」、ああ、この人達は幸せなんだな、と思える作品は、やっぱり稀有ですよね。こんなこと口に出したくないのに、口から言葉を出してしまう、そういう力があります。やっぱりセカイ系は劇薬だ。

 『キン肉マンレディー』を読みました。ハッピーになれます。なんで打ち切りになったんだろう。