私は何故ブルデューを学ぶのか

なぜブルデューか?

 最近出た、加藤秀俊の『社会学 わたしと世間』(中公新書)という本があります。「新書レベルの社会学の概説本は筆者の興味関心が強く出過ぎている」という巷の評判に違わず、この本もまた筆者の興味が色濃く出ています。立ち読みなのでちゃんと全てに目を通したわけではないのですが、ぱっと開いたページに、柳田国男の名前があげられていて、「日本の社会について知るならこの辺りを読もう」みたいなことが書いてありました(たぶん)。
 確かに、柳田が偉大な「民俗学者」であり、日本の諸学に色々な形で影響を与えたのは間違いないと思うのですが、彼がオーソドックスな社会学史に名前が載っているかと言われれば、正直よく分からないところです。「社会学」と言えば、やはり頭に思い浮かぶのは欧米の学者たちです。「社会学者」をどう捉えるかにも寄りますし、極端なことを言えば、社会哲学者や人類学者、経済学者で「社会学者」と呼べる人は沢山いる(『社会学文献事典』には、アダム・スミスの本も社会学の文献としてあげられています)のですが、厳密に捉えると、つまり、自分は社会学者であると明確に意識して研究していた人に限って考えるならば、少なくとも理論の分野で(実証・計量系はよくわかりませんが…)国際的な評価を得ている日本人は、ほとんどいないのではないかと思います。見田宗介大澤真幸上野千鶴子など、それなりに名前が知られている社会学者はもちろんいるのですが、やはり、マックス・ウェーバーやエミール・デュルケム、ゲオルグジンメルタルコット・パーソンズといった人々と比べると、何となく感じる物足りなさは否めません。
 この辺りの話を――だいぶ古い話ですが――書いているのが竹内洋の『清水幾太郎の覇権と忘却』(中公文庫)です。竹内は、社会学と言えば(執筆時の)10年ほど前までは海外思想家の学説研究が主で、経験的研究は二流だと言われていたと語っています。西欧の大理論家の思想を理解するだけでは「社会学の学」、つまり「社会学学」にしかなりません(この辺、鷲田清一中島義道とかが日本の哲学研究を批判していたこととダブります)。そもそも、欧米の社会学者が自らの研究対象地域としたのは、やはり欧米が中心です。もちろん、それこそウェーバーを想起すればすぐにわかるように、アジアなどの他の地域に視線を注いでいた者も多くいましたが、現代日本を正面から扱ってはいません。私たちが、私たちの住む場所を理解するには、欧米の理論を研究するだけでは、やはりどこかに限界があると言わざるを得ないでしょう(だから冒頭にあげたような柳田国男のように、周辺領域から理論家を引っ張ってくるわけですが)。
 では、日本を知るという目的を達成するには限界があるにも関わらず、なぜ私はピエール・ブルデューという、フランスの社会学者を好み、その思想を学ぼうとしているのでしょうか。それを語るのが本稿の目的です。

 理由は主に2つあります。まず1つ目に、その思想の統合性の高さです。ブルデューという名前を出すと、まず真っ先に「文化資本」そして「ハビトゥス」という用語が思い浮かぶと思うのですが、それはとりあえず置いておいてください。
 そもそも社会学というのは、多くの対象と研究方法をもった社会科学です。既に挙げた学説=理論研究ではない経験的な研究で言えば、質問紙調査、フィールドワーク、言説分析、インタビュー、エスノメソドロジーエスノグラフィー等々。それらをとにかく数を集めて計量的に分析しても、1つの事例を徹底的に読み込んでいって、質的分析を加えても構いません。
「なんでも社会学」なんてことも言われたりするほど、社会学の方法論は豊富です。これは強みであり面白さではありますが、弱みでもあります。学説研究は経験的研究を浅薄だと非難し、経験的研究も学説研究を西欧の後追いとやり返します。莫大なデータに統計のメスを加える量的研究と、少ないデータを緻密に掘っていく質的研究の対立は、もはや言うまでもありません。この構図は今でもあまり変わっていない…というより、社会学研究の多様化により、より混沌としているといえるでしょう。
ブルデューは、これらの対立を乗り越えようとしました。弟子のロイック・ヴァカンは、ブルデューとの共著、『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』で、次のように語っています。
「社会についての完全な科学は、行為者「不在の」機械論的構造主義も、「過剰に社会化された文化中毒患者」という矮小化された形か、程度の差はあれ「ホモ・エコノミクス」の洗練された生まれ変わりという形でしか人々の存在を認めることができない目的論的個人主義も、両方を同時に放棄しなければならない。客観主義/主観主義、機械論/目的論、構造的必然性/行為体としての個人は、どれも偽りの対立である。…これらの対立を乗り越えるためにブルデューは、表面上敵対し合うパラダイムそれぞれの「世界仮説」を、社会的世界に内在する二重のリアリティをとらえることをめざしたひとつの分析形式の諸契機へと変換してしまうのである。」

 ブルデューは、フランスの超絶エリート養成中等教育学校である高等師範学校(エコル・ノルマル)の哲学科出身でした。今とは違う部分もあるそうですが、加藤晴久ブルデュー 戦う知識人』によると、ブルデューが在学していたころのエコル・ノルマルは、文理合わせてひと学年に40人程度。全寮制で、食事や洗濯など、勉学以外のことは全てお手伝いさんがやってくれるそうです。サルトルメルロ=ポンティアルチュセールフーコーデリダも卒業生に名前が並びます。壮観ですね。ブルデューはこういった秀才中の秀才とともに勉学に励んでいました。
彼も当然哲学の道に進もうとしていたのですが、人類学に転身、最終的には社会学へと至ります。とはいえ、その哲学の経験は終生色濃く思想に反映され、事実、ブルデューの文章には哲学者の名前が山のように出てきて、私のような不勉強ではほとんど言いたいことが分かりません。彼の理論的強靭さは、豊富な哲学知識に端を発するものです。しかし、ブルデューは、ただ哲学を引用して社会学の支配しようとしたわけでもありませんでした。『ブルデュー社会学を読む』を著した安田尚によれば、彼は統計学にも通じていました。

 「『社会学者のメチエ』を書く少し前に彼(ブルデューのこと ※きゃくの注)は、統計家の養成機関である「国立統計研究学院」で教鞭をとっており、統計的方法・技法に習熟し、その有効性と限界を熟知していた。そのうえでいわゆる「実証主義」批判を行っているのである。つまり彼の場合、「理論屋」の「実証嫌い」や「統計嫌い」といった非難は成り立たない。」

 ブルデューにとって最も重要なのは、「科学として社会学が成り立つにはどうすればいいか」ということでした。自然科学と違って、対象が極めて自分と近い人間科学―社会学では、対象を客観視するためには、自然科学以上に「認識」に気を遣う必要があったのです。1つの理論や方法論に胡坐をかくという選択肢は、彼にはありませんでした。ウェーバーマルクスもデュルケムも、エスノグラフィーもパス解析も認識論的切断も、彼は状況に応じて使い分けました。
 もちろん、個々の方法論のスペシャリストにとっては穴があるのかもしれませんが、それはともかく――それを考えるのは後世の私たちの仕事です――、自分とは離れた場所にある方法論を取り込み続けた彼が目指そうとしたところは、非常に高い場所でした。その姿勢には非常に学ぶところがあると思います。グランドセオリストでも(からかい交じりで使われる)「統計屋」でもなく、社会学のオールラウンダーなのです。方法論に国境はあまり関係ありません(基本的にはそうだと思います)。これが、私がブルデューを好んで学ぶ理由の1つです。

2つ目の理由は、ブルデュー自己批判の鋭さにあります。
ここで「文化資本」が関係してくるのですが、「文化資本」という言葉を考える際に、私が最も分かりやすいと思うのが、ブルデューのアンケート調査に寄せられた回答者のコメントです。
「秀才や天才を呼び込むと考えられ、顕著な文化資本の所有と結びつけられる」(『国家貴族』Ⅰより。以下しばらく『国家貴族』Ⅰからの引用)フランス語学の成績優秀者と、それとは真逆で、「「きちんとした」学習への意欲がそのまま反映される学習へと誘う科目」である地理学の成績優秀者は、同じ質問に対して対照的な答えを返します。

Q.受賞(=成績優秀 ※きゃくの注)の理由
「選択した小説の独創性。たぶん、文体?」(フランス語)
「僕の答案は中くらいの出来で、それ以上のものではなかった。あまり熱を込めて書いたとはいえない。それほど地理学に惹かれていたわけではないし、正直言って、充分な知識をもっていなかった……このような条件の下では、小論文全体の調子によって体裁をつけるしかない。大局的な見地からテーマを定め、細部に入りすぎて全体を見失わないようにして、文章の流れをさまたげるような数字やデータを1つも入れないようにした。」(地理)

Q.将来の進路(複数回答可)。その理由。
「作家。少年事件担当裁判官、画家。比較的独立していて、孤独であるから。」(フランス語)
「幾分場違いな告白かもしれないが、僕は書くことができればと思っていた。当てにならない希望に人生をかけるわけにはいかないので、治水林野庁に就職しようと目標を定めた。そうすれば、私が好きでたまらない自然に近づけると思ったのです。しかし、残念なことに、この方向に進むことはできませんでした。あまりに科学的な性格が強すぎたからです。のこっているのは、教職の道です。歴史の先生になりたいと思っています。そして、できれば、準備クラスか高等教育関係、大学の先生になりたいものです。」(地理)

Q.美術館に行く頻度
「毎土曜日。展覧会を見て回る。オランジュリー美術館、ルーヴル美術館その他。人類博物館に1度行った。」(フランス語)
「私には、真に重要な美術館を訪れる機会が1度もありませんでした。意義のある展覧会にも行ったことがありません。すべて、パリか大きな都市で催されるからです。オタン市の美術館や、私の住んでいる地域の美術館はすべて訪れたと言ってもあまり意味のあることではないでしょう。一般に、どれも貧弱ですから。意味のない絵画展をいくつか見ましたが、大きな展覧会には1度も行きませんでした。」(地理)

Q.スポーツの実践
「スポーツクラブで、乗馬、テニス、クラシック・ダンス、スキー、水泳。」(フランス語)
「学校で貸される(原文では“le sport imposé par l’écolé”なので「課される」の誤字だと思います。細かいですが… ※きゃくの注)スポーツをなんとかやる程度で満足しています。「なんとかやる」というのは、まさにその通りで、この科目があまり好きでありません。適性に欠けているというのも事実ですが。この活動が押しつけられていることが、嫌いな理由であることも事実です。」(地理)

Q.文化活動、今年度観た演劇作品
「『帰還』『キリン』『ある日、私は真実に出会った』『ベケット』『夏』『白痴』『料理』『クリピュール』『リア王』『椅子』『おお、良き日』『王が死す』『この次、それを歌ってあげよう』『受け入れがたい証言』『道を知る』」(フランス語)
「すでに述べたように、このリセは、文化活動に力を入れていない。したがって、これらの諸点について私の知識が乏しいことに驚かないようにお願いします。今年度は、3つの作品をなんとか観ることができました。『フェードル』『出口なし』『キンナ』です。いずれにしても、文化活動の拠点から遠い田舎に暮らしているので、休暇中にこれらの欠落を生めるのは難しいのです。」(地理)

分かりやすい例をいくつか挙げてきましたが、地理学の成績優秀者に(不遜にも)非常にシンパシーを覚えるのは私だけでしょうか。フランス語成績優秀者は、端的に、しかし優雅な答えを残しているのに対して、地理学成績優秀者は、問題に適切に答えられないことを悔いるかのように――実際にいたたまれないのでしょうが、長文を綴ります。この、「いたたまれなさ」、ハイカルチャーに馴染んでいないことに感じる恥ずかしさ、これこそが「(身体化された)文化資本」をあまり有していないということだと思います。
ブルデューへの批判として、「文化資本という概念は、現代日本には当てはまらない」と言われたりもするのですが、この事例を見るとなんとなく分からないでもないです。日本の学校教育には、「「教養」がないこと」を恥ずかしく思う場面がどれほどあるのでしょうか(とはいえ、ブルデューは生前既にこの種の批判――「アメリカの大衆文化のなかでは、趣味は階級的位置によって分化しているわけではありませんよ」――を受けており、このように答えています。「もっとも大切なのは結果それ自体よりも、むしろその結果が獲得されるプロセスなのだ、ということがわかっていません。」(『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』))。
ブルデューは、「いたたまれなさ」を利用して、カリキュラムには必ずしも載っていない部分での選別を行ってきたとして、自らの出身校であるエコル・ノルマルを批判しています。つまり、自身が学び、選別されてきた場所に対して批判を行ったわけです。これは、彼にとって複雑なものでした。母校に愛着がないわけがありません。しかし、自身も地方出身者で、「いたたまれなさ」を感じてきたブルデューにとって、エコル・ノルマルは、愛憎入り混じった「故郷」であったのです。
彼の批判の矛先は、母校にとどまりません。『ホモ・アカデミクス』では学問の世界を滅多切りにし、『マルティン・ハイデガーの政治的存在論』や『芸術の規則』では哲学や芸術のテキストを相手に、作品それ自体を読むだけではなく、また、単純に歴史的文脈に放り込むのでもなく、両者の間を、緊張感をもって分析し、その政治的意味があることを主張しています。
ブルデューの批判は、やたらめったら全否定するわけではありません。敬意というとまた違うのかもしれませんが、最初から否定ありきで入るのではなく、充分に対象を読みこんで、そのうえで批判を行っていくのです。だからこそ、彼の読解は強度あるものになって…るのかは私はよく分かりませんが。それを判断できるところに私はまだいないので、よく分かりません。
哲学や芸術の話はともかく、自分とその周囲にとにかく批判の目を向けるブルデューの徹底さは、方法論へのこだわりと通じるものがあります。「純粋で普遍的なもの」なんてものは無い、全て、もしくはほとんどが<界>(ゲームのルール)に結びつけられたものである。しかし、この姿勢は、よくいう「相対主義」とは少し違っています。彼は自身を「健全なモダニスト」と言いました。哲学という領域を棄て、社会学という分野に拘ったのも、科学への信頼があればこそです。

社会学は相対的にみれば進んだ科学であり、一般的に考えられているよりも、社会学者自身が考えているよりも、ずっと進歩を遂げています。」(『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』)

 彼にとってみれば、方法論を疑わずにそれに寄りかかっているよりも、常に論争が巻き起こっているくらいの方が健全(程度の低い論争には辟易していたようですが)なのでしょうか。よくブルデューを引用して、「学校教育でのパフォーマンスは家庭環境によって完璧に決定される。だから努力しても無駄だ」みたいなペシミスティックな結論を引き出す人もいるのですが、ブルデュー自身はそういう立場を取りません。彼にとって現状は変えられるものであり(ブルデューにとっての「真理」とは、常にいくらかの誤差を含有する「統計的真理」です)、私たちに強く働きかける社会的構造の働きを知ることは、その現状突破のための手段に過ぎないわけです。
 しかしロイック・ヴァカンらアメリカのブルデューの読者は、そこに矛盾があるのではないかと指摘します。「これだけ構造に規定されているんだよ」と言ってしまったら、たとえそれが「事実」だとしても、人のやる気を損ない、結果としてブルデューが望む現状突破を損なうものではないかと。それに応えるブルデューのコメントは辛辣です。彼にとって、そんな程度の低い話はとり合う必要がないのでしょう。

 「あなたは一方で自由な空間、解放を自覚する空間の可能性を広げてきました。その空間は、これまで象徴支配や社会的世界のドクサ的理解が生み出す否認=誤認によって排除されてきた歴史的可能性を開くものです。しかし他方で、あなたが同時に押し進めている徹底した幻想の解体は、闘争を成立させなければならないこの社会的世界をほとんど生きられないものにしてしまうものです。自覚と自由を高めるための道具を提供しようとする意志と、社会的決定要因の効果をあまりに鋭く意識させて戦意喪失を生みだしかねないことの間には強い緊張関係がありませんか。おそらく矛盾さえもあるのではないでしょうか。」(読者)

 「『ホモ・アカデミクス』のなかで試みたように、私が反省性によってもたらされる道具を利用するのは、無意識によって入り込んだ歪みを監視するためであり、思考を変えることのできる仕組みについての知識を前進させるためです。反省性は科学性を高めるための道具であって、科学の可能性を破壊するための道具ではありません。科学的野心をくじくことが目的なのではなく、その野心をより地に足がついたものにすることが目的です。反省性は科学の進歩に貢献し、それゆえ社会的世界についての知識の進歩に貢献します。それによって、知識に影響を与える社会的制約要因についての知識を前進させる手助けとなり、ひいては同時に科学においても政治においても、より大きな責任を引き受ける政策を可能にします。バシュラールは「隠されたものについての科学以外に科学は存在しない」と言っています。社会科学の場合、ヴェールをはぎ取ることはそれ自体がひとつの社会批判です。それは批判になることを望んだものではありませんが、科学が強力であればあるほどその批判は強力になります。つまりその仕組みが見落とされていなければ効果を発揮できないような仕組みを暴露でき、それゆえに象徴的暴力の根底にあるものに到達できるのです。
 反省性は一種の「芸のための芸」のようなものではありません。反省的社会学は知識人をその幻想から解放できますし、まず何よりも、とりわけ自分自身のテーマに関して幻想など抱いていないという幻想から自分を解放することができます。したがって少なくとも、象徴的支配に受け身のうちに加担したり意識せずに加担したりするのを困難にしていくのに寄与できるのです。」(ブルデュー

 「ですが私は自分の質問に戻らなければなりません。反省性が生み出す幻想の解体は、社会学者に「受け身で保守的な姿勢」をとることを余儀なくさせるのではありませんか。『社会学年報』の創始者はすでにこうした態度に対して自己防衛をしていましたが。」(読者)

 「この質問に対してはまず次のようにお答えしたいと思います。もし、[反省性による]危険が若者の反抗というものへの魅惑を破壊し、若者を落胆させるだけのものなら、それはたいした損失じゃないのではありませんか。若者の反抗といってもほとんどの場合、それは知識人の若者たちの間でしか続きませんから。」
 「…社会学が幻想を解体する効果をもっているのはほんとうです。でも、社会学が前提とし強化している科学的現実主義と政治的現実主義のおかげで、真に責任を引き受けられる領域に完全に専念することができます。そのため、自由の存在しない領域で争うことを避けられるのです。そうした争いは多くの場合、自己欺瞞を隠すための口実でしかありませんから。…」(ブルデュー

 強く厳しいモダニスト、というブルデューの人物像が浮かび上がってきます。実際、彼はサルトルフーコーが行った分かりやすい社会運動からは距離を置いていました。彼の社会批判は、多くの場合、<界>などの概念を用いた、文字上でのものでした。彼は左翼を自任していましたが、短絡的な暴力革命とは手を切っていました。――しかしだからといって「知性中心主義」にも加担しなかったのですが。彼の政治的立ち位置は極めて微妙で、慎重なものでした。彼への安易な紋切り型の批判は、ことごとく的を外します。もしそれが命中することがあるとすれば、それはブルデュー自身の責任というよりむしろ、彼の思想を薄めた「ブルデュー的」なものの責任であることが多いような気がします。

 さて、自分の今いる位置に安住しないことを信条とする彼の論考は、したがって、捉えどころがなかなか見当たりません。ブルデューの本を読まずにどうこう言うのはもちろん論外なのですが、少し読んだくらいでも、論旨は全く分かりません。ブルデュー自身が、そしてデュルケム研究者でブルデューの翻訳者の1人でもある宮島喬が指摘するように、「文化資本」すら、明確に定義できるようなものではなく、議論の途中で必要に応じて使っていくという概念なのです。ブルデューには文化資本の他に政治資本や象徴資本、学歴資本なんていうのもあります。私もブルデューの本は数冊読んできましたが、まだまだ入り口にさえ立てていない感があります。これからも日々闘っていくつもりです。
 さて、話が色々揺れましたが、私がブルデューを読む理由をまとめると、①方法論への疑いが常にあるから②対象への疑いと敬意が常にあるから です。そこには、私自身が、ハイカルチャーに馴染めなかったことも関係しています(北田暁大が同じようなことを言っていました)。しかし、ブルデューを読んでわが身を反省したのは、これも繰り返しになりますが、彼は、やたらめったら全否定しているわけではなく、哲学や美術を十分に勉強しているということです。彼は、さながら修行僧のようでした。「100分de名著」で、親鸞について、「彼は1度も「悟った」と言わなかった坊さんだった」という紹介があったのをよく覚えているのですが、それと同じように、私にとってブルデューは、「分かった」と言わなかった社会学者です。まあ、それっぽいことを実際は言っていたのですが、そこにまとわりつく後ろめたさは、彼自身が理解していたと思います。方法論と対象への絶え間ない自己批判、そしてその2つが「反省」というワードで密接に関係しているブルデューの思考は、私にとっては、フランスという枠を飛び越えて迫ってくる「普遍的なもの」なのです。