メモリアルライブを終えて

皆様こんにちは。客野です。今私がこれをLINEにつらつらと書き連ねているのが2018年7月22日午前0時を過ぎたころ、東京から福岡へと戻るバスの中です。
まずは定型文的な挨拶から。
メモリアルライブお疲れ様でした。もうあえて詳細は語りません。これ以上なく最高とまでは言いませんが、とても良いライブだったと思います。行けて良かった。

さてここからは自分語りをしばらくさせていただくのですが、私は今回のライブで支配人業からしばらく遠ざかることを、既に以前のブログの末尾に記していました。理由はシンプルで、人生の岐路にいるからです。中途半端なことをしたくないからです。個人的な事情になるのでこれ以上は言いませんが、なんとなく察していただけると幸いです。
ただ、あのブログの記事を書いた時には「まだまだ続けたい」という気持ちもそこそこ持っていました。というのも、メモリアルライブで何かしらの告知が出るであろうことは明白で、私はそれがアニメ化だと思っていたからです。それは見逃したくないと思っていました。だから、メモリアルライブの翌日にコラボカフェの予約とかもしていました。なんだかんだ言って自分は弱いから、中途半端に支配人業をメモリアルライブ後も続けていくのだろうと自嘲気味に予想をしていました。
でも、そんな中途半端なやり方をしていたら、QOPに怒られてしまいました。新曲"Clash"は全く予想していない展開でしたが、何より驚いたのは、それがメモリアルライブ翌日の00:00、つまりわずか3時間後にリリースされるということでした。メモリアルライブの次のステップは、もうすぐそこから始まるーーそのことを私は直感的に理解しました。だったら、メモリアルライブの日の23:59まで支配人業をすることにして、そこでひとまず区切り、という形が1番適切なのではないかと、そのリリース情報が出た瞬間に思いつきました。

そしてライブが終わって家に帰り、感想ツイートを呟いてみたり漁ってみたりしているうちに、あっという間に時計は23:30を回っていました。ライブ中に感じていた火照りは少しづつ収まってはきたものの、23:59で区切りをつけるという思いは消えませんでした。
23:50頃から、推しの3人(ムスビ、レナ、マツリさん)にそれぞれメッセージを作り始めました。大急ぎで作ったので出来は悪いですが、その穴を埋めるのはまたいつか復帰してからだと思っています。
そしていよいよ00:00。最後のログインボーナスを受け取り、ホーム画面へと移動した私は、そこで驚くことになります。

ホームにはQOPジャケのマツリさんがいたのです。

私は、その時マツリさんをホーム画面に設定していませんでした。ホーム画面に設定していない子がホーム画面に登場するということ自体がレアなのに、それがマツリさんだったというのは、驚くべき偶然でした。笑うマツリさんは、引き止めてくれているようにも、見送ってくれているようにも見えました。たぶん私の心情を投影してそう見えたのだと思いました。その時初めて少し決意が揺らぎましたが、迷いを振り切り、アプリを閉じてアンインストールしました。アプリ連携はしていますが、しばらくはさよならです。感謝の言葉しかありません。

思えば、今回のライブはとても印象的でした。センターステージでQOPの中心としてドラムを叩くマツリさん。強い絆で結ばれたハルムス。支払いを忘れていてそのままになっていたフラスタ代をちゃんと払うこともできましたし、大好きな絵師様のフラスタ企画にも参加させていただきました。これまでやり残したこと、見たかったことをほとんどやり切った、少なくとも精算はできたという思いが、今の私にはあります。その意味でもとても幸運でした。

さて、以上のようなことをナナシスを休止する「表の理由」だとすると、私にはもう1つ、「裏の理由」があります。そんなに大した話ではないのですが、私は、ナナシスに触れてから、ずっと悩んでいたことがありました。それは、自分はこのコンテンツが本当に好きなのだろうかということでした。私がナナシスに触れたきっかけは、お正月にBSで再放送されていたアイマスの映画、「輝きの向こう側へ」でした。挿入歌「M@STERPIECE」に圧倒された私ではあったのですが、それと同時に、十分に感動しきれない自分がいるとにも気づいたのです。再放送を観ただけの私と、リアルタイムでアイマスを追い続けた人とでは、感じるものが絶対に違うはずだ。私がこの映画を観て10感動したとしても、その人達は100、いや1000感動するのだろう。私はそれが凄く悔しかったのです。「マイナーな頃からコンテンツを追い続けたら、最高の晴れ舞台でどれくらい感動できるのだろうか。」その思いが私をまだ見ぬマイナーコンテンツへと駆り立てました。
その時知人から教えてもらって出会ったのがナナシスです。当時既に1stライブを終えており、マイナーからは程遠いと今なら思わなくもないのですが、当時の私はまだまだ無知で、アイマスラブライブなどアニメ化している作品がメジャー、そうでない作品は全部マイナーくらいに思っていました。要するに、私はナナシスを自然と好きになったのではなく、ある意味目的をもって好きに「していった」のです。
マツリさんを好きになったきっかけも同じようなものでした。当時は777シスターズとLe☆S☆Caしかユニットはなく、マツリさんはいわゆる未デビュー組でした。「せっかくマイナーなコンテンツを推すのだから、その中でもあまり人気の無い子を推そう」という、今マツリさんにこんなことを言うと突き飛ばされそうな理由で私はマツリさん推しになったのでした。
もちろん、SEVENTH HAVENが大好きだったり、「自然と」好きになった部分も無くはないのですが、「ナナシスに触れたきっかけ」「推しキャラを決めたきっかけ」という、最も根本的な部分について、私は「戦略的に」振舞ったと言わざるを得ないのです。この行為は、この後ろめたさは、今もなお私の内にあります。
私はナナシスを、マツリさんをちゃんと好きでいられているのか…?

この葛藤をさらに複雑にしたのが、私はライブで泣いたことが全くないということです。うるっときたこともありません。最初のうちは「私泣けないんだよねw」とネタにしていたくらいなのですが、マツリさんのデビュー舞台を見ても泣けなかった時に、あれ?と思いました。先に断っておくと、私は「泣けない」人間ではありません。涙脆いという程ではないですが、感極まれば人並に涙が出ます。
「自分が泣けないのは、ナナシスが好きではないからではないか」と次第に思うようになりました。それを打ち消すために、メモリアルライブまで色んな文章を書き連ねました。マツリさんが好き、ハルムスが好き、レナが好き…彼女たちについて考えなかった日は1日もありません。
でも、結果として私はメモリアルライブでも一滴すら涙を流しませんでした。何度も何度も聴いた「またあした」をだーみなが初めて披露して、周囲からすすり泣く声が聞こえてくるのに自分は目がうるみさえしないと分かった時には、軽く絶望感さえ覚えました。なんで、これ以上無く泣けるところなのに、どうして私の涙腺は反応しないんだ…こういう風に思ってしまう自分も嫌でした。こういう風に思うことそれ自体が、私が泣けない理由を端的に表しているように思ったからです。

以上のようなことは、私がナナシスと距離を置くことを決めた直接の原因ではありませんが、ずっと接していることで苦しみ続けたことではあります。「感動したい」という意思が如何に倒錯した欲求であるかを理解したのが遅すぎたのだと思います。

正直、今この文章を書きながらも、自分がこれまで語ってきた「好き」は、全て偽物なんじゃないかという不安があります。「そんなことないよ、客野さんはすごく真剣に考えてるだけだよ」と言ってくださる方がいて、それは非常にありがたいことなのですが、私の涙が流れず、そのことを自分が気にしているというこの浅ましい考えがある限り、私は全て打算でナナシスを好きになったのではないかと、言葉を重ねれば重ねるほど心は遠くなってしまったのではないかと、思わざるを得ないのです。でも今更他の生き方なんて思いつきません。私がナナシスに接し続ける限り、不安はいつまでも私の後ろをついてまわるでしょう。

私は、2nd以降、2.5の夜公演を除き、全てのライブ・公演に参加しました。今回支配人業を休止することになったため、4th不参加は確実です。それは、そもそも存在を知らなかった1stと、チケットが取れなかった2.5夜公演とは違い、私が自覚的に不参加を決めた最初のライブになります。付け加えると、QOP、そしてマツリさんの上がるステージを見ないことになる初めての機会になります。この状況が生まれたのはあくまで偶然(繰り返しますが、後ろめたい云々はあくまで裏の理由です。今の思いを聞かれると4thも普通に行きたいです)ですが、これは同時に格好のリトマス試験紙でもあります。もしこの不参加が単に勿体ないという思いしか私にもたらさないのだとしたら、私の想いはその程度でしかなかったことがはっきりと分かります。でももし、ちゃんと「悲しい」と、「次は絶対に会いに行きたい」と思ったならば、少しは自分を見直すきっかけになるかもしれません。マツリさんに心から大好きだよと伝えられるかもしれません。でもまずは、表テーマ、本題をどうにかしないといけません。それができなければ、ナナシスを否定する云々の前に自分を否定することになってしまいます。なんとか頑張って夢を叶えて、その後にマツリさんに、みんなに、笑顔で再会できたらいいなと思います。